nightmareについて

先日会食中に、英語で、nightmareとbad dreamが両立しているのはなぜかという話になった。経済性の原理が働くのが原則なので、同じ意味を表す言葉は1つでよく、2つあるときには意味が多少異なるのが普通だからである。単語nightmare自体は古英語から存在していると記憶しているが、まずはみんな大好き、wiktionaryでその語史を振り返ってみる(今回も割と長いです)。
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古英語の頃(10世紀以前)は、nihtmareと綴られ、意味はevil spirit thought to torment people in their sleep(睡眠中に人々を苦しめるとされていた悪霊)とされている。これからわかる通り、語後半のmareが指すのは(女性の)悪霊である。サンスクリット語ではMāraと綴られ、仏教用語で悪神とされ、日本語の俗語にもなっている。どちらかというと男性の神という感じだが、英語では女性の悪霊と考えられているのが興味深い。
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その後、中英語(1066-1500)では、An evil spirit attacking men or horses at night. (夜に男性または馬を攻撃する悪霊)と意味が変化したようだ。
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その後、現在では、主に3つの意味が辞書に掲載されている。1番目はまず16世紀から使用されている語義“a feeling of extreme anxiety or suffocation experienced during sleep; Sleep paralysis.” (睡眠中に経験する極度の不安または息が詰まる感覚)だが、Wisdom3では(古)と分類されており、しかも感覚ではなく夢魔とされている。悪霊の意味が続いているわけだ。実際、エドガー・アラン・ポーの1843年の作品「黒猫」ではこの夢魔の意味で出てくる。しかしGenius 6にはこの語義は掲載されていない。もはやobsolete=廃れたと見立てていると推測する。
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では、現在のA very bad or frightening dream=「悪夢」の歴史はいつからか。調べてみると、歴史は割と浅く19世紀から、その意味での使用例が見つかるようだ。おそらくI saw a nightmare last night. It was badly terrible. などと言った場合、聞き手が、nightmareを「夢魔」ではなく「悪夢」と解釈しても不自然ではないので、300年ほどかけてゆっくりと意味が変化したのだと推測する。その後、悲惨で困難な状況等を、比喩的に「悪夢」と表すのが20世紀に現れている。
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と、ここまでを振り返ってみると、nightmareという語は非常に古くからあり、夜寝ている時に悪さする夢魔の意からゆっくりと変化し、この200年ぐらいで現在の悪夢を意味するようになったようだ。
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で、ここで最初の疑問の、現在もa bad dreamとも言えるのはなぜかという問いに戻る。これは最近までnightmareという語にその語義がなかったからという事実に負うところが多いのではないかと思う。
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実際、Shakespeareでもnightmareという語はリア王に出てくるが、”He met the night-mare, and her nine-fold..”(彼は夢魔とその9人の連れに会った)と夢魔の意味で出てきており、悪夢はHamletに"I could be bounded in a nutshell and count myself a king of infinite space, were it not that I have bad dreams.”(我は木の実に囚われ、無限の空間の王とみなすことも可能だ。ただ、悪夢を見ることさえなければ)とbad dreamsが使われている。
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つまり、nightmareが夢魔の意味から悪夢へと意味変化したのは割と最近であり、一方が優勢になり、他が意味変化を起こして生き残りをかけるにはまだ時期尚早ではないかと考えられる。
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この辺りは、堀田先生のVoicyのwhileの回(https://voicy.jp/channel/1950/727547)に詳しい。具体的には、whileは名詞から、副詞や接続詞へと変化しているが、どれもまだ生き残っている。ある単語が死語となっても、複合語(for a while)には、その痕跡を残しやすい。例えば日本語ではきなこ(黄な粉)に格助詞「な」の片鱗が見える。悪夢を意味する表現として、nightmareが優勢になるのか、bad dreamsが優勢になるのかまだ予断は許さないが、dreamの意味も古英語の頃のpleasureやmusicなどの意味から現在の意味「夢」へと変化してきた。「悪夢」の表現が今後どのように変化していくか、さまざまな意味で興味深いと感じる。